みなさん、おつかれさまです。昭和探偵事務所、所長のナガサワです。
このコーナーでは、1960年代後半~70年代に青少年時代を過ごした、
おじさんたちのハートをわしづかみにする、
昭和的なモノ・場所・遺物等を無秩序かつナンセンスに紹介してまいります。
今回のテーマはこちら!どん!
マンモス団地。都内のマンモス団地といえば、高島平や光が丘の団地が有名ですが、
これら団地の嚆矢となったのが写真の「多摩川住宅」であります。
同団地は1966年(昭和41年)に設立された東京都住宅供給公社が手掛けた
初の大規模団地として、同1966年から1968年(昭和43年)にかけて建設され、
1966年8月に入居を開始した、日本を代表する元祖・マンモス団地なのです。
京王線調布駅もしくは小田急線狛江駅からバスにゆられること約10分。
多摩川の土手下にヨーカン箱のような建物が整然と並ぶ様は圧巻のひとこと。
このエリアは、団地造成前は「千町耕地(せんちょうこうち)」と呼ばれた一面の田園地帯。
現在も団地エリア(赤いエリア)上部の外周は、立川崖線の段丘と根川に囲まれており、
根川が多摩川に注いでいた頃の面影を地図上からも確認できます。
多摩川沿いの調布市と狛江市にまたがる48.9ヘクタールの広大な敷地に、
88棟・3914戸の住宅棟が立ち並ぶ団地内には、スーパー、店舗、公園、幼稚園、小中学校も完備。
そのスケールの大きさと斬新さからモデル団地とされ、
現在の上皇が皇太子時代に視察に訪れたそうです。多摩川住宅は、戦後日本の暮らしを
大きく変える、モダンで洗練されたライフスタイルの象徴として、
新婚さんや若い夫婦の憧れの的だったのです。
多摩川住宅は昭和ドラマのロケ地としても有名です。
ウルトラセブン「アンドロイド0指令」、ウルトラマン「怪獣殿下 後篇」、怪獣ブースカなど、
円谷プロの作品には頻繁に登場しています。
なぜなら、当時、円谷プロがあった世田谷区砧と同団地は指呼の間にあり、
ロケ地として便利だったと推察できるからです。
で、多摩川住宅といえば、こちら!どん!
団地内に5基がそびえる、スピンドルフォルムの給水塔であります。
この給水塔は、竣工時から地域のランドマークになっており、
中村雅俊の青春ドラマやコメットさん(九重佑三子編&大場久美子編)でも
その雄姿を映像の背景に見ることができます。
巨大なオブジェを思わせる圧倒的な存在感は、
まさに給水塔のking of kingsといっても過言ではありません。
敷地内に数多ある公園の遊具たちも、多摩川住宅で見逃せない
オブジェ群のひとつ。シュールな造形美が昭和の空気を醸し出しています。
どうです?このカタチ。宇宙から○○星人が放った光線を浴びると怪獣に
変身して動き出すのでは?そんな気がするのは私だけでしょうか・・・
街区番号は「イロハ」のカタカナと数字の組み合わせで、イ号棟からホ号棟および
ト号棟(ヘ号棟は存在しない。屁を思わせるためか?)の6街区から成り、
写真「ハ-10号棟」のように表記されております。この表記方法も懐かしい味わいのひとつ。
帝国海軍の軍事用語、たとえば「ニイタカヤマノボレ ヒト・フタ・マル・ハチ」みたいでイカス。
で、団地のキワへ行きますと下の写真のように、立川崖線のガケと根川の跡を
現在も見ることができます。ここにかつて広大な稲作地帯が
広がっていたことを想像すると胸がときめきます。
晩秋の多摩川住宅を歩いていると、ふと小学校5年生の頃、クラスで密かに好きだった
団地住まいの女の子を思い出しました。「うちは狭いから友だちを呼んじゃダメ」と
母親にキツく言われ、お誕生日会もやったことのない、麻丘めぐみ似の団地の子・・・
そんな40数年前の記憶にひたっていると、
なぜか、郷ひろみ♪『よろしく哀愁』♪が頭の中に聞こえてきたのは、私だけでしょうか・・・
もの悲しい記憶を振り切って、多摩川の土手に立つと過ぎ去った昭和時代よりも
はるかに澄み切った晩秋の空が広がっていました。多摩川住宅よ、昭和をありがとう。
いかがでしたか?昭和探偵事務所は、これからも不定期に調査報告を行ってまいります。
多摩川住宅は、今後予定しております「つげ義春シリーズ」や「昭和ドラマロケ地シリーズ」にも
ちょこちょこ登場するキーマン的な場所なので乞うご期待!
次回も御照覧のほど、よろしくお願い申し上げます。