数年前、仕事に嫌気がさして、たまらない時期があった。私の仕事は物書きなので、嫌気がさしたのは、考えたり、書いたりすることに対してである。やる気がないのは今も昔もさして変わらないけれど、そのときは自分の書くもの、書いたもの、すべてが陳腐で薄っぺらなものに思え(事実そうだが…)、いっそ生家で綿入れでも羽織って、アパートの管理人になろうと本気で考えたりした。
なぜ嫌なのか、じっくり考えた末、得心のいく或る結論に達し、私は愕然とした。私は書くことはできるが、書くことが好きではなかったのだ。こうして、この文章を書いているいまも、私の筆を持つ手は重い。その背景をつまびらかにしたところで救われないので、今回は三十路を過ぎて始めた短歌でごまかすことにした。私が参加している同人誌に先日載せた拙歌だ。これを使えば面倒な文章を書かずに済む。いまにして思えば、短歌も自発的に始めたのではない。友人に誘われ、ずるずると二十五年間やってきた。期するものもなく、勉強もしなかった。正直、どうでもよかった。どうでもよいことを二十五年間続けられたのは、同人会で出会った人たちとの交流が、それなりに楽しかったからだ。稚拙で恥じ入るばかりだが、文章を書きたくない一心からの逃亡であることを御容赦願いたい。
*遅着した電車ゆっくり滑りこむ高尾の駅舎に霙そぼふる
*遅着車の動きつづけるワイパーに血を拭われた鳥の羽あり
*雨あいの黒く濡れたるバス停に次発便乞う待ち人おらず
*ひと山を車で越えて道半ば大久保郷の辻に降り立つ
*雨やみて瀬音つめたき浅川の淵に朽ちたる小堂ひとつ
*薄物の野良着姿で空あおぐ小さき老女の独話終わらず
*街道に沿って広がる分校のグラウンド駆ける子供らを見る
*立ち寄りの湯客ひとりとすれ違う玄関くらき恩方の宿
*客ひとり泊まる宿屋のフロントで壁掛け時計きざむ夕刻
*感染症予防のために当館のユーフォーキャッチャーしばらく休止
*黒々と山塊せまる浴場の窓さかのぼる湯煙おぼろ
*うっすらと埃かぶった行燈を灯してもぐる布団つめたし
*行燈を消して見つめる闇の中 かすれた犬の遠吠えを聞く