Vol.3〜 在りし日の今日-Walk around the C3city.
2020.12.13

By yoshiki nagasawa -Yoyogiuehara A.D.

Vol.3-四谷若葉―強制収容編【前編】

近年、加速度的に開発が進む首都・東京。C3は、その時代の中で、とりわけ変貌著しい新宿エリアを舞台に、内外部スタッフと苦楽を共にしてきました。今日まで事務所を移転すること数回。 振り返ればそこには、さまざまな思い出に満ちた街の風景・光と影・音・匂いがあります。連載企画『在りし日の今日-Walk around the C3city.』では、多くの内外部スタッフにとって記憶に残っているであろう、C3が通り過ぎた街(事務所が所在した街)を歩き、その変貌と残存する在りし 日の風景を探します。

 

 

2005年、C3は梁山泊のような代々木アジトを引き払い、新宿区若葉に事務所を移転した。グループ会社であるADW社の移転に合わせて、同社のビル内に入居することになったのだ。この間の事情を僕はよく知らない。だから事務所移転を聞いたときは、ただ寂しく残念だった。新しいオフィスは代々木時代とガラッと変わり、明るくモダンなデザイン事務所に様変わりしていた。あれから15年。今日は若葉時代のC3タウンへ出かけてみよう。

新宿区若葉。この街の最寄り駅はJR/丸ノ内線の「四谷」もしくは丸の内線の「四谷三丁目」だ。距離的には四ツ谷駅の方が近いが、今日は訳あって四谷三丁目で下車することにした。

地上に出て四谷四丁目の交差点まで戻ると「四谷大木戸」の碑がある。四谷大木戸は江戸時代に設けられた甲州街道の関所であり、江戸の入り口として機能していた。なんと、現在の交差点上が「四谷大木戸跡」として東京都指定旧跡となっている。なお、新宿御苑の出入り口のひとつである「大木戸門」の名前は、四谷大木戸に因むものらしい。

交差点近くの蕎麦屋の入り口に四谷大木戸の解説が掲げられていた。これを見ると地面には石畳を敷き、木戸の両側には巨大な石垣を設けるなど、蟻一匹通さない堅固な造りであったことがわかる。そして、ここから西は江戸ではなく、狐狸の類が住むド田舎であったこともわかる。僕は、そのド田舎である渋谷区代々木に生まれた。幼少時から年寄りの話を聞き、雑木林や屋敷林が残っていた時代に育ったから、代々木界隈の土俗性や田舎くさい暮らしぶりを知っている。だから「江戸っ子ですね」とか「都会生まれだ」とか言われると、密かに抵抗感を覚える。四谷大木戸跡は、その抵抗感の根拠を発見したような気がして、ちょっとうれしい。

四谷三丁目駅に戻り、四ツ谷駅方面へ歩いていこう。やがてC3があったビル方面へ行く曲がり角が見えてきた。C3に行くには、ここを右折する。ジョナサンとファミリーマートは健在だ。

右折するとこうなる。

その先を右に曲がると、こうなる。

どん突き左折で、こうなる。面白くも何ともない・・・

で、最後にドン突き右折で、C3が入居していたビルが左手に見えてきた。

ビルも周囲の風景にも大きな変化はないようだ。斜め向かいには小学校があり、打ち合わせをしていると、いつも子供たちの元気な声が聞こえてきた。代々木時代のアングラなムードは影を潜め、大きな窓から入る陽射しがそこにあった。それはそれで懐かしいけれど・・・

ビルのエントランスに入ってみよう。当時はたしか3フロアーのすべてをADW社グループで占めていたと思うが、今は小さな事務所が小分けで入居している。ちょっと前に流行ったSOHOビルか?このビルの思い出は少ない。ひとつ鮮明に覚えているのは、真夏の夕立と雷だ。とにかく猛烈な土砂降りで雷鳴すさまじく、打ち合わせを中断して、ADW社のスタッフと窓から外を見ていた。雨があがり、外に出たとき、もわっとした濃厚な湿気と雨に打たれた青葉の匂いが街路に満ちていた。それは、まさに青葉の街。あれから15年が過ぎた。

ー後編へつづくー