P A R T N E R S

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YAGI NAOKO

東京都調布市在住
美大卒業後、グラフィックデザイナーに。
グラフィックデザインの仕事で長くデジタルな環境で過ごす。画材と疎遠になりつつあったところにチョークアートに出会い再びリアルな画材で描くという表現方法に改めて魅力を感じ描き始める。チョークアーティストのプロ認定を取得。グラフィックデザイナーとチョークアーティストの二つの顔を思つ。

趣味: 犬に散歩に連れて行ってもらう クラップ チョークアート
contact: https://naokoyagi892.wixsite.com/clap-chalkart/

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独りごと・・・

ご無沙汰しております。

コロナ、戦争、政治に、〇〇、、、早くも今年一年が過ぎようとしています。

いったい、この闇はいつまで続くのでしょうか。

これから寒くなるので、いろいろ早く終息して新しい年度を気持ちよく迎えたいものです。

その中でも、スポーツ選手、芸人さん、そして、多くのミュージシャンの方々に

たくさんの幸せと勇気をもらいました。

暗い気分を癒してくれるのは、スポーツ、音楽、、映画、お笑い、、

やはりつくづく、「エンタメ」は世の中から無くなってはいけない重要なものですね。

早く、争い事のない平和な国になって欲しいものです・・・。

 

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ジャケデザインとMY SONG 〜 #08 E.YAZAWA

だいぶご無沙汰しております。

コロナやら、戦争やら、暗いニュースばかりで気分が沈みます。

でも、もう春だし、ポジティブに前をむいて頑張っていきたいと改めて思う今日この頃です。

 

さて、今回紹介するのは、知らない人はまずいないでしょう。

「YAZAWA」こと、矢沢永吉さんです。

今年はデビュー50周年だそうで、ビッグイベントも期待したいところです。

同じことをやり続けて50年、第一線で走ってる、それだけでもう「ロック」です。

僕もえーちゃんが大好きでライブもちょくちょく観に行っていますが、

会場で必ず見かける、白いボルサリーノに白いスーツを着たファンの方々には圧倒されています。

 

えーちゃんは日本のロック界の第一人者であり、一見、とても頑固で強面なイメージがありますが、

実は、新しいもの(デザインやサウンド)も積極的に取り入れていて、

70歳を過ぎてもなお、そういうところに貪欲であり、良い意味でミーハーでもあり、

そこがまたすごいなぁ!と感銘を受けるばかりです。

何と言ってもかっこいいのはこのロゴマークですよね!

 

 

う〜〜、カッコ良すぎる!!!!!

ライブの時は、このロゴ入りのタオルを持っていき、会場で真上にぶん投げるのが定番です。

 

ジャケットデザインの話に戻ります。

えーちゃんのアルバムジャケットのデザインも時代と共にどんどん洗練されていきます。

初期の頃は、ちょっと懐かしさを感じるようなデザインもあったりして、

それはそれで「アジ」がありましたが、

最近のアルバムジャケットを見ると、どれもクールでかっこよくなっている印象を受けます。

そんな中でも、僕がいちばん好きなデザインはこれです!

 

「横顔」というアルバムジャケットですが、

えーちゃん定番の「白いマイクスタンド」がモチーフになっていて、

白いスーツに白いマイクスタンド、

そのマイクスタンドを振り回す、えーちゃんのマイクパフォーマンスを、

広角レンズでパースの効いたローアングルからの構図を用いることで、

ライブの躍動感を見事に表現しています。

まさに「これぞ、えーちゃん」を象徴するようなデザインです。

振り回したマイクスタンドのコードに「EIKICHI YAZAWA 横顔」と、

さりげなくタイトルが入っていて、そこがまたさらに何とも言えないくらいカッコよく、

これを最初に見たときは本当に感動しました。

こんなデザイン、いつか作ってみたいとずっと思っています。

「いつか、その日が来る日まで」

ということで今回は、デビュー50周年にふさわしいこの曲をお届けしてまた次回に!

「帰りにうまいビール飲んで帰ってねーーー!!」

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新年のご挨拶

みなさま、新年のご挨拶が大変遅くなりました。

明けましておめでとうございます。

 

昨年は、弊社もいろいろ新しいことにチャレンジし、

良かったことも悪かったことも含め大変勉強になった年でした。

 

さらには、今年もまたオミクロンなる新しいコロナ株の出現で感染者が瞬く間に増え、

飲食店さんや医療従事者の方々も大変なご苦労をされていると思います。

私たちデザイン業界も同じく、コロナで大きなダメージを受けており

まだまだ不安な日々が続く中で、時には心が折れそうになったりもしますが、

それでも今は、少し「みち草」していると思って明るく生きてさえいれば

いつか必ずもとの生活を取り戻せる!と、心に希望を持ち、

元気に精進して参りたいと思います。

 

みなさま、本年もよろしくお願いいたします。

 

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ジャケデザインとMY SONG 〜 #07 BOØWY

みなさまだいぶご無沙汰しておりました。

久しぶりの投稿です。

今回のジャケ紹介は、伝説のバンド「BOØWY」です。

ま、このバンド名を知らない人は日本にはいないでしょう。

BOØWYのジャケットでなんといっても一番インパクトのあるデザインやはりこれでしょう!

ドン!!

 

当時このジャケットを見たときはすごいインパクトで、

いまだに自分自身がデザインする時など、何かとこのデザインを思い出したりしている。

人物のシルエットのみと、コラージュで見事にバンドの特性を表現していると思った。

 

ジャケットもさることながら、バンド名、BOØWYの「Ø」がこれまたいい。

なんの意味があるのかはわからないけど・・・。笑

元々は、6人組のバンドで、名前も漢字で「暴威」と書き、

パンクバンド色が強くとんがった曲が多かったような気がするが、

だんだんと売れ線ロック調になっていき、布袋さんが書く曲は

メロディラインやギターのリフがとてもおしゃれで、すごくかっこよく聴き心地がよかった。

でもそれが、氷室さんと音楽の路線が合わなかったのか、

人気モンスターバンドになったにもかかわらず、絶頂期に突然の解散・・・。

東京ドームの「LAST GIG」は伝説のライブとなっている。

BOØWYのジャケットを数多く手掛けていたのは、

カッツ三宅さんというアートディレクターだそうだ。

 

今でもたまに聴いているが、曲が全く色褪せていない。

改めてすごいバンドだと思う。

そんな中から、僕の大好きなこの1曲を!

何度聞いても気持ちがアガる曲だ。

イメージ!イメージ!イメージダウン!!!!!

 

 

 

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ジャケデザインとMY SONG 〜 #06 あいみょん

今回のジャケットデザインは「あいみょん」です。

あいみょんの歌を聞いた時、どことなく80年代の匂いがしてなんだか懐かしいようで新しくもあり、久しぶりに好きになった女性アーティストの1人だ。本人自身は、スピッツやフリッパーズギターなどが大好きだったそうで、彼らの楽曲のソウルがあいみょんの曲調から感じ取れるが、 さらには彼女のお父さんは浜田省吾などのファンでもあったようで、その時代の匂いも同時に感じとれ、僕にとってはそこがなんとも聴き心地がよい。

あいみょんのヒット曲 「君はロックを聞かない」を聞いていた時、 なんとなく「ハマショー」っぽいなぁ〜と、感じてはいたので、それを聞いた時、やっぱりな!と思った記憶がある。 そんな彼女のCDジャケットでデザインを手掛けているのは、アーティストの「とんだ林蘭」さんという人で、 奇抜でサイケなファッションとなかなかぶっ飛んだ性格がとても個性的な方だ。

その彼女が手がけた「君はロックを聞かない」のジャケットがこれ。 このジャケは、歌詞のなかにある、「埃まみれのドーナツ版にはあの日の夢が踊る〜」 と言う歌詞からイメージしているのだろうと思う。 あとは歌詞に出てくる彼女が、ロックを聞かない人だから、ジャケットがひび割れているということか・・・。

そのほかにも、「マリーゴールド」のジャケットがこれ。 これも歌詞に由来したデザインと思われ、「揺れたマリーゴーロドに似てる」「離さない いつまでも いつまでも離さない」 のあたりの比喩表現ではないだろうか。

 

僕はそんなあいみょんの曲が僕は大好きだが、その中でも最近グッときたオススメの1曲を今回もご紹介します。

メロディはもちろん、歌詞がまたいいんですよ〜。

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ジャケデザインとMY SONG 〜 #05 忌野清志郎

今回紹介するのは、忌野清志郎さん 

2009年にがん性リンパ管症のため、惜しくも他界してしまったが、RCサクセション、忌野清志郎 & 2・3’S、ラフィータフィーなどのバンドを率いて世の中を日本のロックシーンを牽引。日本人ならほぼ、知らない人はいないだろう。そのサイケなファッションもさることながら、絵のセンスも抜群で、高校時代は絵描きかロックかで迷ったほど絵の才能もあったとテレビのドキュメンタリーで知った。音楽だけではなく美術家としての非凡な才能の持ち主でうらやましい。

これも彼が描いた自画像だが、うまい!

天は二物を与えてるじゃないか!と言いたくなる。

清志郎に限らず、けっこう音楽家の人は全体的に絵もうまい人が多い気がする。音楽と絵とは何か通づるものがあるのだろうか。

 

先週、フジロックで 忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVERと題し、多くのアーティストが清志郎の歌をカバーして、会場も大いに盛り上がっていた。YOUTUBEで生配信していて、とても感動した!

RCサクセションの有名な歌はまあまあ聴いていたが、そこまでリアルタイムに聴いていたわけではないのであまり自慢げに話せるほどではないけれど、僕が清志郎の曲の中で、一番大好きな歌がこれ。

「JUMP」

これは、彼がソロになってからリリースした歌だが、このジャケのデザイナーは誰かわからない。

なぜ、王冠なんだろう?とその意味を考えてみるが、なかなか難しい。

勝手に歌詞の内容から推測するに、一番高くジャンプしたら、一番てっぺんに行けるから、それはつまり王様だろう、っていうことか・・。(誰か知ってたら教えてください)

この歌詞を聞くと、まさに今のこの世の中にぴったりの内容ではないかと思う。コロナ過で旅にはなかなか出れない状況だが、その場でジャンプすることくらいはできるし。。。

くよくよしている時に、この歌を聞くとすごく元気が出るが、同時に不思議と涙が出てくるのはなぜだろう・・・。この曲は名作だ!

夜が落ちてくるその前に もう一度高く JUMPするよ!

 

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ジャケデザインとMY SONG 〜 #04 ザ・クロマニヨンズ

今回紹介するジャケットデザインは、ザ・クロマニヨンズ です。

古くは、「ザ・ブルーハーツ」のヒロトとマーシーのバンドと言えばわかりやすいでしょうか。

その2人が組んだ、3つ目のバンド名です。

このアルバムのジャケットをデザインしているのは、「菅谷晋一」さんというフリーランスのデザイナーで、クロマニヨンズの全てのアルバムのジャケをデザインしている。

他にも、OKAMOTO’Sや、THE YELLOW MONKEYといった、数々の有名アーティストのジャケットデザインも手掛けていて、

その一風変わったジャケットデザインがとても印象的だ。

このデジタル時代に、創作方法はご自分のアトリエでアナログで手作りし、最終仕上げで、デジタルで加工するといった感じ。

絵も自分で描くし、工作もする。

少し前に、菅谷さんのドキュメンタリー映画が公開されいていて僕も見に行ったのだが、とても興味深く、面白かった。

彼は、アーティスト側から新アルバムのジャケットデザインを依頼された時、当然のごとく、最初にそのアルバムの曲全てを通しで試聴するわけだが、菅谷さんは、そのアルバムをたった1度しか聴かないようにしていると言う。

そのたった1回の試聴の中で、印象に残った曲をベースにインスピレーションを感じ取り、それを具現化していくという作業だった。

菅谷さんにご興味ある方は、下記のリンクよりご覧ください。

https://rooftop.cc/news/2020/11/12120030.php

その映画の中でも印象的だったのは、この「パンチ」というアルバムだ。

ボルトのモチーフがデザインになっているのだが、巨大な50センチほどのボルトナットを2本、発砲スチロールでわざわざ作り、それを、いったん撮影してからデジタルで加工してイラストっぽく仕上げている。

それなら最初からデジタル、もしくは本物のボルトを買ってきて撮影すればいいじゃん?

とかつい思ってしまいがちたが、そこがいわゆる非凡な部分なのだろう。

個人的な意見だが、僕もデザイナーの端くれとして思うのは、

デジタルで作ったものよりも、やはりアナログで丹念に制作した作品の方が圧倒的にパワーがあると感じる。アニメなどもCGで作られたものより全て手描きで作られた作品の方がパワーを感じる(もちろんそれが全てではないが)

そして、このジャケットの「帯」もまた、いい味を出している。

(昭和を感じるからだろうか・・・)

最終着地点はアナログだろうが、デジタルであろうが見た目の出来栄えは変わらないかもしれない。

ただ、アナログ作品から伝わってくる熱量は、なんとなく肌で感じるものだと僕は思う。

今のデジタル時代、このアナログという創作方法でアルバムジャケットを手掛けている菅谷さんがとても羨ましいし、菅谷さんが携わっているほとんどのアーティストさんは仕上がったジャケットデザインを見て「イメージ通り、文句なしで一発OK!」と言わせる菅谷晋一さんは、やはり素晴らしいデザイナーさんだ。

そんなクロマニヨンズのナンバーから、この疲弊した毎日の中で

気持ちが上がるこの1曲をご紹介!

かっこいい〜〜!!

エルビス(仮)!!

 

 

 

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ジャケデザインとMY SONG 〜 #03 バンプオブチキン

今回のジャケ紹介は、BUMP OF CHICKEN。

おそらく知らない人はいないであろう、超人気バンドだ。

ライブチケットは、ほとんどが即完売。当選確率はすこぶる低く、なかなか当たらない。

僕がバンプを知ったのは、2004年だった。

忘れもしない、夜遅くに仕事から帰ってきて夜中にテレビをつけてボーッと音楽番組を見ていると、

金髪のボーカルを筆頭に、どこかの駐車場?で撮影した4ピースバンドの音楽PVが流れていた。

その歌がなんともロックな感じでとてもかっこよく、一発で好きになってしまった。

その曲名はのちに「sailing day」という曲で漫画ワンピースの映画版のテーマ曲だったことがわかった。

そして翌日、仕事帰りにレコード店に行き、その歌が収録されたアルバムを買いに行った。

それが、これ「ユグドラシル」というアルバムだ。

これは、ボーカルの藤原基央さん(通称:藤くん)が直接自分で描いた鉛筆画だそうだ。

ユグドラシルの意味は、北欧神話に登場する「9つの世界を内包する世界樹」らしい。

そこに一隻の方舟が遠くからやってくる、というシチュエーションだが、

藤くんのコメント曰く、アルバムのタイトルは最初から、「木」をモチーフにしようと決めていたらしい。

僕なりに勝手にこのデザインの意味を解釈すると、収録された音楽の世界観を鑑み、

「人は皆、希望、決断、挫折、など色んな枝分かれした道に迷いながらも1つの未来という目的地に向かって旅をしている」

といったところか。

このアルバムの曲構成としては、オープニングはインストルメンツから入りインストルメンツで終わる。

そして、1曲目、アカペラと共に軽快なテンポの元気の良い曲で始まる。

個人的にこのアルバムの収録曲はバンプのアルバムの中でも最高中の最高の1枚だと思っている。

 

ちなみに、最初のデビューアルバムのジャケットがこれ。

まだ、予算があまりかけられていない感じ(笑)

最初に大ヒットしたのは、ドラマの主題歌にもなった「天体観測」。

収録アルバムは「JUPITER」。

その後は、予算もついたのか、アルバムジャケットもどんどんお洒落になっていく。

いま一番新しいアルバム「aurora arc」は、わざわざこのオーロラを海外まで撮影しに行ってきたそうだ。

シンプルだが、フォントの使い方も背景と合っていて美しい。

そんな感じで、バンプのジャケットは収録曲に由来しているテーマが多い気がする。

 

そういう意味でも、藤くんの手描きによるユグドラシルの意味深なこのアルバムジャケットは、

本人の曲に込めた思いや、手書ならではの肌感も伝わってきてとても印象に残っている。

(収録曲が全て最高だからなのかもしれないが・・)

 

そして、もう1つ!デザインで語りたいのが、バンプのシンボルマークだ。

これがなんともお洒落ですばらしい!

これもまた、藤くんによるデザイン案だそうだ。

原案がこれ。

デビューアルバムの歌詞カードも本人の手書きによるもので、

この一番上にマークの原案となるものが描かれている。

 

マークデザインの意味は、バンド名に由来する。

「バンプオブチキン」は直訳すると(弱者の反撃)という意味らしい。

1.メンバーを表す4人(星4つ)

2.チキンだけに「飛べない、にわとり(飛べないけど羽を持つ)」

3.弱者を守る「盾」で周りを囲い、エンブレム化している。

その原案をもとに、「タイクーングラフィックス」という有名なデザインオフィスのデザイナーさんが清書したものだそうだ。僕はこのマークがとても気にっている。本人たちのライブでもたびたびステージに掲げられていてとても大事にしているそうだ。

ストーンズの有名な「ベロマーク」 や、矢沢永ちゃんのあの「Z」ロゴと匹敵するくらいかっこいい。

配色も絶妙だと思う。

 

と、解説はこのぐらいにして、バンプの素晴らしさは本当に一言では語りきれないので、機会があればまた紹介したいと思います。

今回もバンプのすばらしい名曲揃いの中から1曲を!

どの曲もよすぎて1つだけって選べないけれど、

やっぱり好きなアルバム「ユグドラシル」の中から、「ギルド」という曲を紹介します。

とにかく、藤くんの書く歌詞とメロディは僕の心にグサグサと突き刺さる。とにかく、本当にすごい!

心が疲れて、前を向いていきたいときには、バンプを聴く。

是非ご視聴ください。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ジャケデザインとMY SONG 〜 #02 浜田省吾

今回も田島照久氏によるかっこいいジャケットのご紹介です。

今回のアーティストは、

浜田省吾、通称「ハマショー」。

彼もまた僕の大好きなシンガーソングライターの1人だ。

この「ハマショー」のジャケットも田島照久氏がずっと手掛けており、

むしろ最初に紹介した尾崎のジャケットよよりも「ハマショー」のジャケットデザイナーとしての方が有名かもしれない。

 

で、その中でも

僕の好きなCDジャケットデザインは、これ!

「ハマショー」といえば、いつもサングラスをしていて素顔は公表されていない。

そこをあえて、バックショットでサングラスを外した「ハマショー」が天を仰ぐ姿と、

ジャケットデザインの、人物と背景の空間のとり方が絶妙にうまい。

この、「間」によって、奥行き感や曲の物語の深さなど、収録曲とリンクして人によっていろいろな思いが交錯するのではないだろうか。

本人をモチーフにしてデザインしているものから、グラフィカルなものまで、

どれも、田島さんらしさ、があって本当に素敵だ。

もちろん、「ハマショー」の歌も最高。いつも落ち込んだ時に聴いて元気をもらっている。

今回も、そんな名曲揃いのナンバーから1曲だけ選ぶのは非常に難しいが、やっぱり

今のコロナ渦にぴったりの歌詞とメロディの、この曲をご紹介します!

「この新しい朝に」

久々の「ハマショー」らしい軽快なシングル曲で気持ちが前向きになれる歌詞なので、

お暇な時にでもぜひ、その歌詞も噛みしめながら聞いてみてください!

 

 

 

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ジャケデザインとMY SONG 〜 #01 尾崎 豊 〜

最近の音楽はほとんどが曲データダウンロード購入で

レコードやCDジャケットというものがなかなか印象に残らないが、

当時の音楽といえば、「ジャケ買い」などという言葉があったように

レコードジャケットのデザインを見て、なんとなくその音楽の中身も聞かずに購入したりと、

ジャケットのデザインの力がすごくあったように思う。

これからは僕の好きなメッセージソングと、そのジャケットデザインについて、

知っている事や、思った事などを、ちょっとづつ勝手に紹介していこうと思う。

 

その、第一段としては、やはりまずはコレしかない!

尾崎 豊  十七歳の地図  SEVENTEEN’S MAP

このジャケットをデザインしたのは、「デザイナー&写真家」でもある田島照久氏だ。

ほかにも矢沢永吉さんや浜田省吾さんを始めとする

数多くのアーティストのジャケットデザインを担当。

音楽関係以外でも、ポスターや広告、カレンダー、写真集、小説や文庫本の装丁など

幅広い分野でご活躍されている。

当時、このデザインを見た時、ずいぶん大人のアーティストがデビューしたのかと思っていたが

いざ、聞いてみると僕とたいして歳の変わらない17歳の少年だった。

15歳にして名曲「15の夜」「ダンスホール」など中学生とは思えないような歌詞の内容と

メロディーに度肝を抜かれて、同世代の僕はすぐに夢中になったて聴いていた。

このジャケデザインでは、背景がグラフィック処理で街並みを表現し、

尾崎が壁から飛び降りるポーズをとっている。

カラーの街並みの中に、尾崎の顔だけがモノクロで入っていてなんとも印象深い。

壁に落とす影もアクセントになっている。

 

当時の尾崎は17歳のわりに、大人っぽい歌を歌っていることもあり、

音楽プロデューサーの須藤 晃氏とも話して尾崎の写真は全部モノクロでいこうと決めたそうだ。

楽曲の持つ荒々しさや繊細さ、そして未完成の若さを伝えるのには

モノクロを徹底させるべきだ、との理由らしい。

その頃は不登校や校内暴力などの問題が多発していて、家出などもずいぶん流行っていた。

そういった、いろんな何かから逃れるために、高いところから飛び降りる。

が、このデザインのコンセプトだったらしい。

個人的に考えるならば「少年を超えて大人の世界へ飛び込んでいく!」といったところか。

結果的にとてもミステリアスで印象深いデザインになっていて

その後のカリスマ性はみなさんの周知のところだと思う。

 

尾崎自身はも、これがとても気に入っていて何度もジャンプして撮影していたそうだ。

結果的には40回以上も飛んだと、何かの雑誌のインタビューに書かれていた。

その様子がうかがい知れる写真も、後のベスト盤アルバムジャケットに使われている。

しかし、、その尾崎は、結果的に非業の死をとげてしまい、、僕はちょうど新アルバムのツアー、

横浜アリーナのコンサートチケットを持っていたので、とてもショックだったのを覚えている。

 

あれから30年、10代の曲を集めたベスト盤が発売されたのだが、

そのジャケデザインに、その時撮影された違うアングルのアザー写真が使われていて

なんとそのデザインも、ファーストアルバムのオマージュ的な意味合いのものだった。

これがまた実にかっこいいではないか!!

僕的には、こっちのデザインの方がクールで好きだ。

まあ、最初のアルバムデザインあってこその、このデザイン、ともいえるが。

 

ということで、田島照久さんのジャケデザインはどれもグラフィカルで僕の好きなデザイナーである。

いつか、こんなかっこいいデザインの仕事をしてみたいと思っている。

 

ジャケデザインと同時にそのアーティストの「僕の好きな曲も紹介」ということで、

尾崎の数ある名曲の中から(どれも良すぎて選びようがないが)今回はこの1曲を紹介します。

「僕が僕であるために」

あ〜〜、、名曲がたくさんありすぎて、1つなんて選べないな〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

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長渕とボク #45〜 最終回 Try Again
あの時もっと 自分探して

あきらめないで 走っていれば

こんなことに なりはしなかった

後悔ばかりで どうしようもない

壊れた 過去の 破片を拾って

つなぎ合わせ そっと抱きしめたい

掴むか捨てるか! 好きか嫌いか! 行くか行かないかだ!

俺の時計は あの時のまま 踏みつぶされた 悔しさの中

Try Again もう一度

Try Again もう一度

やり直せる 気がするんだ

今なら 間に合うかもしれない・・・ One More Try

人は誰でも 何か失い

涙 流して 何かを探す

やせた瞳は 嘘に傷つき

それでも突っ立ち やり直せると

苦しみが 罪なら 破片を拾って

つなぎ合わせ そっと償いたい

やるかやめるか! 好きか嫌いか! 止まるか走るかだ!

俺の時計は あの時のまま 踏みつぶされた 悔しさの中

Try Again もう一度

Try Again もう一度

やり直せる 気がするんだ

今なら 間に合うかもしれない・・・ One More Try

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長渕とボク #44〜  悩み疲れて

ワクチン摂取がようやく進み、やっとコロナから抜け出せるかと思いきや、

また東京では感染者が増え、とうとう4度目の緊急事態宣言に。

飲食店の方たちはさぞかし大変な経営状態が続いているであろうに、

国からの協力金もまだ入っていないところもたくさんあるという。

 

デザイン業界においても、コロナの影響をかなり受けている業種だと言えると思う。

企業やお店などが休んだり、売り上げがなくなれば広告宣伝費を削るのは当然のことだ。

 

ウチも去年の2月ごろまではとても忙しかったが、コロナが出てからウチも漏れなく大打撃を受けた。

「こんなに仕事って簡単に止まるんだな」と初めて思い知らされ、

当たり前のように仕事があるということがどんなにありがたいのか身に染みてわかった。

 

仕事が暇だと、遊びに行っても、なんとなく楽しめないし、それに集中することができない。

趣味は、仕事や毎日が充実した中で、隙間を見つけて行くから面白いような気もする。

 

コロナが出て以来、日々、たくさん悩み、そして不安な毎日をかかえながら

いろいろなことを考えては、失敗したりを繰り返す毎日だ。

 

そうした中、このたびの熱海の災害や広島の洪水など人災や天災も重なって

なかなか自分自身前向きになれずにいるが、

暗いニュースばかりが続く中、エンジェルス大谷くんはボクに力を与えてくれる。

野球は、彼の職業なのに、毎日あんなに楽しそうにやっている。

他球団の選手からもとても好かれている。

やっぱりいつもニコニコ笑っているから自然と周りの人たちも笑顔にできるのかもしれない。

 

笑う角には福来る、なのか。

 

ボクも、いつまでも塞ぎ込んでいても前には進めないだろう。

会社に行けば、気のいいスタッフたちがいつも楽しい話題で、

ボクの暗い気持ちや不安な気持ちを明るくしてくれる。

 

この心地よい環境と時間を、少しでも長く維持していけるように、

「生きてるフリ」はもうやめて、前だけを向いて頑張らなければ!

と、思う、この頃のボクである、、。

 

ほんと、がんばらなきゃな・・・( ´ ▽ ` )

 

 

 

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長渕とボク #43〜  また次の場所へ

東京に出てきてから30年以上・・・。

思えば随分と、引越しを繰り返してきた。

 

最初は寮生活から始まり、次は寮の友達とマンションでの同居生活、そして風呂なしアパートでの一人暮らし。

すこしグレードアップして、風呂付きマンション・・・。

それぞれの場所に、それぞれの思い出がある。

 

会社の方も同じく、独立してからというもの、

代々木から始まり、四谷、新宿御苑、初台と、4回も引越しを重ねてきた。

こちらもそれぞれの場所でいろいろな思い出が詰まっているが共通して思う事、それは、

 

「次こそは、良いことがありますように」

 

この思いたった1つだけのような気がする。

本当に、コロナなんかに負けないように。

 

そして、今度こそ、「幸せになれますように」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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長渕とボク #42〜  どれだけ人を愛しても

最近、アルツハイマーの新薬が話題になっているが、ボクも人ごとではない話題だ。

 

僕のおじさん(親父の弟)の奥さん、 つまり、おばさんだが、アルツハイマーを患い、結局最後は施設で亡くなった。 このおばさん夫婦は、僕にとって第二の親と言える存在だった。

本当にいろいろお世話になり、小さい頃からずっと可愛がってもらっていた。

思春期に入り、親父と喧嘩したときなどには、いつもおばさんの家に転がり込んで 親父の愚痴や文句をこ言っては、そのまま家に寝泊まりしていたり、 おじさんが工場を営んでいたので、高校生の頃にはそこでアルバイトもさせてもらったりしていた。

 

その後、就職してからも、たびたびお土産を持っては2人の顔を見に行っていた。 この夫婦は本当に仲が良くて、僕には理想の夫婦像だった。

おばさんの様子がおかしくなったのは、夫であるおじさんが亡くなった頃からだった。

いつも僕が遊びに行くと、心から喜んでくれて、本当に本当に可愛がってもらっていた。

おじさんが、ガンで亡くなってからは、おばさんは会うたび、いつも「寂しいよ〜寂しいよ〜」と言っていた。 それからは帰省したときには、おじさんの墓参りがてら、なるべくおばさんのお線香をあげがてら、 顔を見に行くと、いつも小さい頃から馴染みの愛称で呼んでくれては歓迎してくれたていた。

 

おばさんの異変に気づいたのは、会話中に同じことを何度も繰り返し話したり、同じ質問をするようになったときだった。 それからは、おばさんに会いに行くたび、家の中には、いろんな張り紙が貼ってあって、火を消す、戸締りをする、など、 いわゆるアルツハイマーの人のためのもので、おばさんの病名もハッキリと、いとこ(おばさんの娘)から聞いた。

できるだけ、現状維持をするための薬を飲んでいたようだが、 たまに帰省がてら、顔を見に行くと、おばさんが「あたし、バカになっちゃったよ〜!」と、言うので 「そんなことないよ〜」と笑いながらかけあいをしていたが、完全にその症状が進んでいることを実感し、 年々物忘れがひどくなっていくのが目に見えて分かった。

 

そのうち、そんなおばさんの顔を見るのがだんだんつらくなり、 ボクも家に行くのが少しご無沙汰気味になっていった。 それから数年後、おばさんが体調を崩し、病院に入院したと母から聞いたので、いとこに連絡を取り、 夏休みにを待って、お見舞いがてら久しぶりに顔を見に行くことにした。 そして、ドキドキしながらも病室に入り、「おばさんきたよ〜久しぶり〜!」と、いつものように明るく声をかけると、 蚊の鳴くような、か細い声だったが、僕の名前をはっきりと呼んで「ニコッ」、と笑ってくれた! ちゃんと僕の名前を覚えていてくれたのだ!  

しかも、あのお馴染みの愛称でちゃんと呼んでくれてとても嬉しかった。

 

ただ、さすがに栄養を取れていないため身体も細くなっていて、もともと痩せ型だったおばさんの身体はさらに細くなっていて、 名前を読んでくれた後は、口をポカンとあけたままベッドに仰向けになったまま、どこを見るでもなく、 ただ天井をずっと見つめているようだった。 ボクはそれを見て泣きそうになったが、グッと堪えて「またくるね〜!」と言って、 病院を出たのが、結局おばさんの顔を見た最後になってしまった。 それから半年〜1年が過ぎた頃だったか、、、いとこから連絡があり、おばさんが先日亡くなった、と・・・。

 

ボクにそのことを伝えると、コロナでもこっちに来ちゃうかもしれないからお知らせするのを控えようということになっていたらしく、 お葬式など済ましてから数日後の連絡になって申し訳ないと、そのいとこが泣きながら報告してくれた。 言葉がもう出なかった・・・。 いまだに、コロナでお葬式にもいけず、いまだにお線香も上げに行けていない。

 

おばさん、いままで本当にお世話になりました。

天国でおじさんとまた2人で仲良くやってください。

コロナが落ち着いたら、必ずお墓参りに行くからね〜!

 

そんな、大好きなだったおばさんに、この歌を捧ぐ。

この世からアルツハイマーがなくなることを切に願って。

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長渕とボク #41〜  全てを許してみよう
人間である以上、喜怒哀楽は必ずある。 喜び、悲しみ、怒り、妬み、僻み、嫉み、、、 いろいろな感情がある中で、何の感情が1番忘れずに残っているものなのだろうか。 人それぞれ違うとは思うけれど、ボクの場合は独立してからは何となくだが、喜びの感情は減り、むしろネガティブな感情ばかりが残っている。さらに、去年はコロナが感染拡大し、起業してからほぼ初めてと言っていいくらいパタリと仕事が止まり、いろいろな不安が次々と押し寄せ、その不安と毎日戦っていた。でもなんとか1年踏ん張る事ができたのは、ウチの素敵なスタッフのみんな、数少ない友人、古い付き合いのビジネスパートナーさん、それでも仕事を発注してくれる優しいお客さん、いろいろな人の支えがあったからに他ならない。 人は1人では生きられないと改めて思い知った一年だった。 まだまだコロナは収束していないが、それでも去年よりはネガティブな感情は少しだけ減ってきたような気がする。 というより、もう、散々悩んできた末の開き直りに近いのかも知れないが。 いまは、家にいるよりも会社に行ってスタッフとくだらない話をしながら仕事をしている方が心が安らぐ。 趣味はもちろんあるが、趣味というものはやはり仕事が充実しているからこそ、楽しいものではないだろうか。仕事が忙しい最中に少ない時間を見つけては、釣りやライブ、旅行などに行くのはとても楽しい。 またそうなれるように、今年はいろいろ新しい事にもチャレンジしている。スタッフの笑顔が今よりいっそう増えるように、まずはやれる事はなんでもやってみて、足掻いて足掻いて、それでもダメな時は、、、いや、それはまだ考えないようにしよう。 そんな時は気晴らしにドライブにでも行って、この曲をかける。 いろんな事を許して行こう。

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ラジオに出演させて頂きました♪
先日、初めてラジオ番組に出演させていただきました。 私自身、初の収録というものを体験できてとても貴重な1日になりました。 初めて見る機材の数々。ヘッドホンから聞こえる自分の声。自分の話す声を自分自身で聴く恥ずかしさ。 何もかもが初めてでとても新鮮でした。 もはや、何を話したかあまり覚えてませんが、 「プロとアマの違い」「これからのクリエイターに必要なスキルとは」などをテーマにいろいろと雑談してきました。 この模様は、6月上旬にオンエア予定だそうです。 この詳細は、また後日に。。。 今回、このような機会を与えてくださった シュウさんに感謝です! シュウさん、ありがとうございました♪

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長渕とボク #40〜  走って、走って
今回も僕の数少ない友達をもう1人。 その友達は、幼稚園からの幼名なじみで、物心ついた時から一緒に遊んでいてとても仲が良かった。 彼は、スポーツマンで運動神経が良く、なんのスポーツをやってもうまく、 学校のマラソン大会などでは、全校でで1、2位を争うほど持久力もあった。 同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学校、だった。 また手先も器用で、プラモデルを作らせたら玩具屋さんに飾られるほどの腕前。 友達でありながら、ボクのあこがれの的だった。 そして、小学生の時は、同じ町内のソフトボールチームにも所属していたが、たしか小学校5年生の時だったと思うが、 彼は、ソフトボールから少年野球チームに転籍してしまい、その辺りからなんとなくお互い違うチームの練習などで、 今までのように毎日一緒にいることがなくなっていったように思う。 そして、中学に上がると、2人とも同じ野球部に入り、またそこで同じ時間を過ごした。 野球部でも彼はピッチャーだったりと相変わらずのスポーツマンだ。 中2になったころ、ボクは相変わらずチビだったが、彼は身長も伸び、 クラスも違っていたことから、だんだん一緒に遊ぶ友達もお互いに変わっていった。 そして、高校も違う学校へと進学。 ボクは、高校では野球をやめ、テニス部に入ってなんとなく開放感からか、練習もサボるようになり、 毎日学校帰りにはゲーセンなどに寄り道しては、プラプラと堕落した学生生活を送っていた。 しかし、その彼はときたら、早くから競輪選手を目指していて、 朝の通学時にはレース用の自転車でお父さんとトレーニングしている姿をよく見かけていた。 そして、高校を卒業した後、競輪学校に進み、そのままプロになった。 ボクはデザインの道に進んだが、実家が近かったので、 帰省した時に彼が家にいるときなどに立ち話程度にはお互いの近況を伝えあったりしていた。 そうして、なんやかんや数十年くらいたっただろうか、、そんな立ち話の時に、「東京にもレースでよく行くよ」と言っていたので 「なら、こんど観に行くよ」と軽い約束をして、「京王閣」に来るタイミングで初めて彼のレースを生で観た。 すごかった! こんなにもスピーディーで、危険なのか、生の選手たちの迫力に圧倒された。 競輪なんて今まで見る機会もなかったので、まったくルールはわからないが、大歓声の中で走っている姿がとてもかっこよかった! その後は、彼が東京にくるたびに、ちょこちょこ応援に行き、声援を送ると「ニコっ」としてくれてとても嬉しかった。 買うレース券はもちろん必ず、彼から流して買っていた。(結局、ボクが観たレースでの配当金はなかったが) その券に、彼の名前が入っているのがなんだか誇らしくて、今でも記念に持っている。 そして、数年後、 彼から連絡があり、「俺、今度のレースで引退するんだよ」と。 そのことを聞いた時には、なんだかボクらの時代が終わったような感覚になりとても寂しく感じたが、 「もしよかったら観に来てよ」というので、当然のことながらボクは最後の勇姿を見に行った。 そして、当日、取手のレース場に足を運び、1人ででかい声で声援を送っていると、 奥さんと息子さんも見に来ていたようで、こちらに気付いてくれて、 最後のレースを奥さんと息子さんと3人で一緒に観ることになった。 息子さんは、お父さんのレースを初めて観戦したらしく、実際に走っているところを見て、 「かっけ〜〜!」とため息を漏らしていた。。。その言葉を聞いてなんか、こっちまで泣きそうになった。 結果は、振るわなかったが、ラストランのところで大きな声で声援を送ると彼は手を挙げて応えてくれた。 それが、またかっこよかったのだ。w その姿が印象的だったので、後日、ボクはそのラストランの スタートゲートに並んだ瞬間のシーンを絵にして、彼にプレゼントした。 とっても喜んでくれたので嬉しかったし、良い引退記念になってよかったと思う。 代わりに引退レースでかぶっていた大事なヘルメットをお返しにプレゼントしてくれた。 その時の絵がコレ↓ 引退後は、それとなく、また昔の幼なじみに関係に戻ったような感覚があり、たまに連絡をとりあったりできるのを嬉しく思っている。 そして、先日、連絡をとった際、なんと彼は、おじいちゃんになったらしい。。。。おめでとう! そんな彼に贈る歌は、やっぱり、これしかない!!! 「立ち向かうその向こうには、確かな明日がある〜♪」

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長渕とボク #39〜  友よ
学生の頃の友達はいいもんだ。 おそらく、誰もが社会人になってからよりも、学生生活のほんの短い時間の中で出会い、 濃い時間を共に過ごした仲間の数の方が多いんだろうと思う。 ボクも、数少ないが学生時代の時からの友達がいる。 そいつとは毎年、それぞれの住む街に交互に行ったり来たりして親交を深めているのだが、 あるとき、その友達の住む街で電車に乗っているとき、ふと、「あいつはどうしてる? こいつはどうなった」、などと懐かしい話になったとき、2人の共通の友達で学生時代に早くから漫画家としてデビューした友達のことをそいつが口にした。 ボクは、東京に今もいるので、過去にも述べたがそいつとは元バンド仲間でもあり、ドラムを務めていて絵もすこぶる上手く誇れる友達の1人だったが、ボクはそのバンドをクビになったので(笑)その後は、そいつとも年賀状のやりとりくらいになってしまい、そのうちその年賀状さえも宛先不明で戻ってきてしまうようになってしまった。 ああ、結局そんなもんか〜、まあ、仕方ないよな、、なんて、思い出話をしていたとき、 その友達が、「でも、漫画家なんだからネットで調べたら今の連載作とか近況が出てくるんじゃね〜の?」と言う。 確かにそうだよね、と思い、早速2人でそいつの名前を検索してみた。 やはり一定のファンもいたようでかなりの記事がヒットした。 で、いろいろと投稿を読んで消息を辿っていたとき、2人の目に衝撃的な記事が飛び込んできた! なんと、そいつは借金を苦に、自殺した、とのことだった・・・。 驚きのあまり、2人して電車の中で大声を上げてしまった。 あんなに学生時代に濃い時間を費やし、早くから社会に出て漫画の印税でけっこう稼いでいたし、 羽振りもよかったので、まさかそいつが借金を抱えるなんて想像もつかなかった。 記事をよく読んでいくと、どうやら誰かにそそのかされ、「エロゲー」の開発の会社を立ち上げ、 その事業が失敗して数千万円の借金を抱えてしまった末の自殺、とのことだった。 もったいない。実にもったいない。 あんなに絵の才能があって、性格もおっとりしてとてもいいやつだったのに。 若い頃は、そいつの家にもよく遊びに行っていたし、バンド練習でも毎週会っていたのに。 なんとなく年賀状が戻ってきてから疎遠になってしまい、こちらから一度も様子伺いでの電話することもしなかった・・・。 とても後悔した。たった一本、「元気か?」くらいの電話はできたのに・・・。 そんなに思い詰める前になぜボクたちに相談してくれなかったのか、、、。 人間とは、なんて儚いのだろうと、その電車の中で2人して絶句し、「こんなの見なきゃよかったな、、」と2人で寂しくなった。 今もコロナ過で辛い思いをしている人がたくさんいるし、ボク自身もまた明日が見えない中で、 どうにか必死に足掻いているが、来年のことはどうなるかまったく予想がつかない状況だ。 でも、死ぬ勇気はない・・・。 そいつがそこまで困っていたなら、せめて、一言、ボクたちに相談してほしかったし、 話だけでも聞いてやれれば少しは救われたのではないだろうか・・。 話してくれたら何かはできたはず、と。 んん、、、わからない、話を聞いても力になれないかもしれない。 けれど、死を選ぶところまで追い詰められていたなんてとても信じられなかった。 人生は一期一会だ。 出会いもあれば、分かれもあるし、気の合う人、合わない人、楽しいこと、辛いこと、日々、いろんなことが起こる。 うまく言えないが、いま会えている人たちを大切にしながら、 これからも、なんとか頑張って生きて行かなければ、と思う出来事だった・・・。 天国のキミこの歌を捧ぐ!

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長渕とボク #38〜  そして俺たちは
今日、引越し祝いで頂いた胡蝶蘭の花が一輪咲いた。2年も前にもらったもので、とっくに花は散ってしまったが、スタッフの1人がまだ茎が生きてるから諦めずに水をやってればきっと咲きますよ。と言ってくれたので半信半疑ながらも辛抱強く水をあげていた。それがこれだ。

 

それで思い出した。 あれは2011.3.11、そう、あの大震災だ。 あの日は、いつもと同じくみんなで仕事をしていたときだった。突然、ゴゴゴー!っという地響きとともに激しい横揺れ。みんな自分よりまずはデスクのパソコンを必死に押さえて落ちないように支えてくれた。それでも揺れがおさまらない為、パソコンを床に置き外へ避難。あれはホントに怖かった。 そのあとは家族を心配し歩いて帰るスタッフ、事務所に留まり様子を見るスタッフ、さまざまに一夜を過ごしていた。 ボクは、事務所に留まり同じく残ったスタッフと電車が動くのを待つ事にした。 そして、テレビをつけると信じられない光景が、、。 見たこともない津波映像だった。 その後のことは、周知の通りだが、数日後に津波に流されなかった一本松のニュースをテレビで見た。 その時は、希望の象徴として崇められていたが、地元にいる人たちにとってはそれが悲しみの象徴になっているとも聞いた。人は置かれた環境が少し違うだけで物事の見方が大きく異なるのだと気付かされた。 ある人には希望となるものが、ある人には、恐怖となる、、。考え深い。 ネット社会のいま、ボクもとかく自分本意に物事を決めつけて、勝手な意見を正論のようについ一方的に述べてしまいがちだが、相手から見た正論だってあるという事を、この花を見てなぜかわからないが、そんな気持ちになった。 人に意見を言うときは、出来るだけ冷静に物事を考えてから述べよう。 そんなことを改めて思う出来事だった。 なかなか、それができないのだが、、、 そしてそんな時は、やっぱりこの歌しかない。 そして俺たちは、また船を漕ぐ あの海に立ち向かい、船を漕ぐ

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長渕とボク #37〜  なんぼのもんじゃい!

長渕の桜島ライブからもなんとか無事に帰還し、また忙しい日々をこなしていた。そんなある日、もといた会社の社長から電話がかかってきた。

四谷にビルを1棟借りするからお前もこないか?と。

とてもありがたいお話だったので、もちろん断る理由などなかった。家賃も今よりも安くしてくれると言う。しかも、お仕事もたくさんそこからいただいていたので同じ棟に入れるのは願ったり叶ったりだった。そして、引越しの当日・・。自分のマンションから荷物を運び出している時の事だった。

玄関のドア前に置いてあった消化器の上に、重い荷物を持っていたせいでついお尻が取っ手に当たってしまい、なんと消化器がその場で暴発し、マンションの中があっという間に消化器の粉で充満してしまった!それよりも何よりも一番驚いたのは、あの消化器の粉を吸い込むと、とてつもない喉の痛みと刺激臭が一気に喉を締め付け、あっという間に呼吸ができなくなった。

ぼくは、慌てて苦しいのを必死に我慢しながらとにかく外へ避難しなければと夢中で階段を駆け下りた。そのマンションにはエレベーターがなく、3階の部屋だったことから外に出るまでにさらにダッシュし、本当に死ぬ思いをした。あの粉があんなに苦しいとは思わなかった。皆さんも消化器の粉を絶対に吸い込まないようにくれぐれも気をつけてくださいね。

そして、粉の充満が収まったころ、どうにかこうにか荷物を全て運び終えた後、マンションの住人の方にこの惨状の理由を説明してまわり、丁寧に謝罪。

その後、粉で真っ白になったマンションの部屋の入り口や階段、エントランスまでを夜中まで水雑巾でひたすら掃除するハメになったのは言うまでもない・・。とてつもない作業であった・・・。

「なんぼのもんじゃい!!!!!!!!!!」

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長渕とボク #36〜  そんなとき君の声が

信じていたやつに桜島ライブをドタキャンされたボクは、そのあと自分の友達や知り合いでライブに興味がありそうな人に片っ端から声をかけてみたが、案の定、そんな間近になって自分の予定を開けてくれる人もなく、、、。完全に途方に暮れてしまっていた。

「あ〜、やっぱり1人で行くしかないのか、、せっかくの桜島が台無しだな・・寂しいな・・。」

そして、いちるのの望みをかけ、最後の最後に、普段からずっと可愛がってもらっている先輩にダメ元で、声をかけてみた。

もちろん長渕などほとんど聞いていない。

「あの〜、長渕のライブが今週末にあるんですけど、ドタキャンされて、誰も言ってくれる人いなくて、、しかも桜島でして・・・」

すると、先輩が、

「それはひどいな。まじで誰も行く人いないのか、わかった、1日時間くれ。」

と言って家に持ち帰ってくれた。

そしてその夜、メールが来て、行ってあげるよ。と返事をくれたのだ。

本当に嬉しかった。あの時の嬉しさは今でも忘れない。

でもなぜ、行くと決めてくれたのかとても不思議だったので、どうして行ってくれる気になったのか聞いてみた。

するとその先輩は、

「行かないで後悔するのか、行って後悔するのか、どちらかなら、行って後悔した方が面白いじゃん。」と。

理由はともかく、本当に嬉しかった。せっかくの休みに、興味のない人のライブにしかも泊まりで付き合ってくれるなんてなかなか出来ることじゃないし、あまり多くは語らなかったが、本当に感謝でしかなかった。今でもその先輩には頭が上がらない。

もちろんたくさんの人に感謝して日々を過ごしているが、とくにその人と知り合えたことは東京に出てきてからのボクの中では、数少ない収穫の1つである。

で、先輩に後日、桜島に行った感想を聞いたら、

案の定、「行って後悔した」そうです。。

でも、ボクは先輩が付き合ってくれてとっても楽しかったですよ!

ありがとうございました!

この歌を先輩に捧げます!

https://www.youtube.com/watch?v=-9VqKG88kJc

 

何かにしがみつき走ってる時はいいんだけど
ふとした時に急に生きてることさえつらくなる
涙がかわいた頃によりそうものが
無いのはやっぱり僕は困るんだ

そんな時君の声がしたよ
そんな時君の笑顔を想い出したよ
「さびしさって奴に負けてもいいんだよ」って
僕の胸を勇気いっぱいにしてくれた

Stay Alive Stay Alive Stay Alive
そして君を抱きしめた
Stay Alive Stay Alive Stay Alive
そして全てここから始まるのさ
Stay Alive Stay Alive Stay Alive
僕は君を抱きしめ生きてゆく
Stay Alive Stay Alive Stay Alive

考えても考えても仕方の無いことを
昨日までの自分をふりかえり悩み続けていたよ
やっと立ち上がって歩こうと思うんだ
明日僕は君に手紙を書くよ

どんな時も君の声がしたよ
どんな時も君の笑顔を想い出したよ
「もう悲しみって奴にも負けないからね」
僕の胸を勇気いっぱいにしてくれたから

Stay Alive Stay Alive Stay Alive
そして君を抱きしめた
Stay Alive Stay Alive Stay Alive
そして全てがここから始まるのさ
Stay Alive Stay Alive Stay Alive
僕は君を抱きしめ生きてゆく
Stay Alive Stay Alive Stay Alive

 

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長渕とボク #35〜  ぶざまさ、人の世は

こうして一気に距離が縮まったボクたちはそれからというもの何かとつるむようになっていった。彼はボクの仕事関係の営業担当になっていて酒も大好きだったことから、よく飲みに誘われては仕事帰りに飲んで、その飲み代のほとんどは年上の自分が出していた。

そして、2004年 夏! 長渕が桜島でオールナイトのライブが決定した!

「鹿児島だけど、どうする?行く?」

「もちろん行きますよ!」

「よし!ならライブチケットと航空チケット手配するよ!」

幸い、土日のライブだったため、仕事には支障がない。

そしてなんとかチケットと航空券をゲットしたボクはその日をとても楽しみにしていた。

だが、ライブの日の2日前のことだった・・・。

「いよいよ今週だな、楽しみだね〜、待ち合わせ時間とかどうする?」

「すいません、子供を迎えに行かなくちゃならないので行けなくなりました」

「はぁ?、何言ってんの?チケット取っちゃったし、航空券だってお前の名前で予約してるよ?」

「でも、子供を迎えに行かなくちゃならないから、無理だなぁ〜」だって・・・・。

 

そんなことってありまますか?なんだよ、子供の迎えって! そんな理由で軽くキャンセル〜??

こっちは、泊まりで既にチケットも手配済みなのに、その用事は奥さんとかに頼めないことなのか?

しかも2日前になって、ドタキャン、て。その神経が理解できなかった。

考えてみたら、しょっちゅう飲みに誘われては飲み代は自分が払い、財布を出すところを見たことがない。今までボクはうまく利用されてきただけなのか?東京のライブならまだしも、鹿児島まで行く約束をして、それをあっさりとドタキャンできる神経が信じられなかった。完全に裏切られた気分だった。(ちなみに、そいつの児島行きのチケットも全て年上のボクが出していた)

その後、しばらく方針状態で頭が真っ白になったのと、その後の怒りと虚しさは今でも覚えている。

でも、余ったチケットがもったいないので、他に行く人を土壇場で必死に探すことになるのだが、

そんな急に鹿児島まで付き合ってくれる人なんて、いるわけないよな・・・。

 

人はやっぱり簡単に信じちゃいけないのか・・・。自分に人を見る目がないのか・・。

東京って、、、怖い。

ちなみにお金(かなりの額)も貸したが、それも帰ってこなかったことは言うまでもない。

あ〜、、また思い出しちゃった、くそっ!

今日はこの歌がぴったりだ! 歌詞もつけちゃうぞ。。

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変わり果てた奴 旨く変わった奴
両方とも 随分見てきた
友情なんて 口にすると
ガキの頃から むしずが走った

徒党は組まない 組めば面倒だ
生きてくには 一人で精一杯
てめえの面 磨きもせず
友達面する奴 大嫌い

身構えないと なめてきやがる
こわさがないと 笑われる
正直になると 足をすくわれる
ぶざまさ 人の世は…
He・La He He La He He La・La
神様も 笑う
He・La He He La He He La・La
神様も 笑う

ワビを入れても 俺をはじくから
やりたくないが きっちりケリをつけた
憤りの 酒をあおり
半端なてめえに 追い打ちをかけた

筋を通したら 潰しにきやがった
おまけに 俺の心までひん曲げた
尖った口を やがて弛め
おれは最後に ヘラヘラ笑った

身構えないと なめてきやがる
こわさがないと 笑われる
正直になると 足をすくわれる
ぶざまさ 人の世は…
He・La He He La He He La・La
神様も 笑う
He・La He He La He He La・La
神様も 笑う

He・La He He La He He La・La
神様も 笑う
He・La He He La He He La・La
神様も 笑う
He・La He・La…

 

 

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長渕とボク #34〜  まっすぐ生きてぇ

ある日、元いた会社に営業で入ってきた男性を紹介された。歓迎会にも呼ばれ、まずは社交辞令の自己紹介をしながら酒を飲んでいた。

そして、ボクからある質問をした。

音楽で好きなアーティストとかいるの?

すると、彼は「はい、ボクは長渕が好きなんです」

ま、ま、まじかよ!?

さては、こいつ、誰かから俺が長渕好きなの知っててわざと寄せてきたに違いない。では、試しにもう一つ質問をしてやろう。

まじ?長渕の曲で何が好きなの?

「はい、僕はマイセルフが好きです」

あ、本物だこいつ。マジの長渕ファンだ!

その瞬間、ボクたちはすぐに打ち解けた。

ホントの友が見つかった、、とその時は思っていた。