昭和探偵事務所-File-02~マンモス団地DEよろしく哀愁~
2020.11.30

みなさん、おつかれさまです。昭和探偵事務所、所長のナガサワです。

このコーナーでは、1960年代後半~70年代に青少年時代を過ごした、

おじさんたちのハートをわしづかみにする、

昭和的なモノ・場所・遺物等を無秩序かつナンセンスに紹介してまいります。

今回のテーマはこちら!どん!

マンモス団地。都内のマンモス団地といえば、高島平や光が丘の団地が有名ですが、

これら団地の嚆矢となったのが写真の「多摩川住宅」であります。

同団地は1966年(昭和41年)に設立された東京都住宅供給公社が手掛けた

初の大規模団地として、同1966年から1968年(昭和43年)にかけて建設され、

1966年8月に入居を開始した、日本を代表する元祖・マンモス団地なのです。

京王線調布駅もしくは小田急線狛江駅からバスにゆられること約10分。

多摩川の土手下にヨーカン箱のような建物が整然と並ぶ様は圧巻のひとこと。

このエリアは、団地造成前は「千町耕地(せんちょうこうち)」と呼ばれた一面の田園地帯。

現在も団地エリア(赤いエリア)上部の外周は、立川崖線の段丘と根川に囲まれており、

根川が多摩川に注いでいた頃の面影を地図上からも確認できます。

多摩川沿いの調布市と狛江市にまたがる48.9ヘクタールの広大な敷地に、

88棟・3914戸の住宅棟が立ち並ぶ団地内には、スーパー、店舗、公園、幼稚園、小中学校も完備。

そのスケールの大きさと斬新さからモデル団地とされ、

現在の上皇が皇太子時代に視察に訪れたそうです。多摩川住宅は、戦後日本の暮らしを

大きく変える、モダンで洗練されたライフスタイルの象徴として、

新婚さんや若い夫婦の憧れの的だったのです。

多摩川住宅は昭和ドラマのロケ地としても有名です。

ウルトラセブン「アンドロイド0指令」、ウルトラマン「怪獣殿下 後篇」、怪獣ブースカなど、

円谷プロの作品には頻繁に登場しています。

なぜなら、当時、円谷プロがあった世田谷区砧と同団地は指呼の間にあり、

ロケ地として便利だったと推察できるからです。

で、多摩川住宅といえば、こちら!どん!

団地内に5基がそびえる、スピンドルフォルムの給水塔であります。

この給水塔は、竣工時から地域のランドマークになっており、

中村雅俊の青春ドラマやコメットさん(九重佑三子編&大場久美子編)でも

その雄姿を映像の背景に見ることができます。

巨大なオブジェを思わせる圧倒的な存在感は、

まさに給水塔のking of kingsといっても過言ではありません。

敷地内に数多ある公園の遊具たちも、多摩川住宅で見逃せない

オブジェ群のひとつ。シュールな造形美が昭和の空気を醸し出しています。

どうです?このカタチ。宇宙から○○星人が放った光線を浴びると怪獣に

変身して動き出すのでは?そんな気がするのは私だけでしょうか・・・

街区番号は「イロハ」のカタカナと数字の組み合わせで、イ号棟からホ号棟および

ト号棟(ヘ号棟は存在しない。屁を思わせるためか?)の6街区から成り、

写真「ハ-10号棟」のように表記されております。この表記方法も懐かしい味わいのひとつ。

帝国海軍の軍事用語、たとえば「ニイタカヤマノボレ ヒト・フタ・マル・ハチ」みたいでイカス。

で、団地のキワへ行きますと下の写真のように、立川崖線のガケと根川の跡を

現在も見ることができます。ここにかつて広大な稲作地帯が

広がっていたことを想像すると胸がときめきます。

晩秋の多摩川住宅を歩いていると、ふと小学校5年生の頃、クラスで密かに好きだった

団地住まいの女の子を思い出しました。「うちは狭いから友だちを呼んじゃダメ」と

母親にキツく言われ、お誕生日会もやったことのない、麻丘めぐみ似の団地の子・・・ 

そんな40数年前の記憶にひたっていると、

なぜか、郷ひろみ♪『よろしく哀愁』♪が頭の中に聞こえてきたのは、私だけでしょうか・・・

もの悲しい記憶を振り切って、多摩川の土手に立つと過ぎ去った昭和時代よりも

はるかに澄み切った晩秋の空が広がっていました。多摩川住宅よ、昭和をありがとう。

 

いかがでしたか?昭和探偵事務所は、これからも不定期に調査報告を行ってまいります。

多摩川住宅は、今後予定しております「つげ義春シリーズ」や「昭和ドラマロケ地シリーズ」にも

ちょこちょこ登場するキーマン的な場所なので乞うご期待!

次回も御照覧のほど、よろしくお願い申し上げます。