昭和探偵事務所-File-06 西武多摩川線~あの夏の武蔵野へ捧げ銃~
2021.07.1

ご無沙汰しております。昭和探偵事務所・所長のナガサワです。コロナ禍による外出自粛や取材予定の週末に限って天候に恵まれないなど、言い訳めいたアクシデントが重なり、調査・報告がストップしていた次第です。いつの間にやら季節は梅雨。ヤバい!このままでは、ますます昭和が遠のいてしまう!折しも今週の東日本は雨続き。そんな中、雨天の間隙をぬって飛び乗ったJR中央線高尾行!さあ、7駅先の武蔵境駅から昭和の風景へ、西武多摩川線で出発しましょう!

西武多摩川線は、東京都武蔵野市の「武蔵境駅」と府中市の「是政駅」を結ぶ、わずか6駅の路線です。同路線は、他の西武線との連絡がない孤立路線でありまして、多摩川河原で採取した川砂利を運搬する目的で、1910年(明治43年)に設立された「多摩鉄道」によって開業した路線なのであります。この路線で運ばれた膨大な川砂利が帝都の急速な近代化を支えたというわけです。

現在の西武多摩川線は、野川公園、多磨霊園、多摩川競艇場などにアクセスできるうえ、懐かしい昭和の風情を残す貴重な路線として、私を含む一部の昭和マニアに愛されている路線なのであります。昔ながらの木造屋根や木製ベンチが残るホーム、草花の繁る土手を走る車両など、かつて都内のあちこちで見ることができた風景が、そのまま残されているのです。

で、今回のテーマはこちら、どんっ!「構内踏切」であります。構内踏切とは、ホームと改札口の間にある踏切のこと。この構内踏切、都市圏では、その多くが橋上駅舎化に伴い消滅してしまいました。しかし、一部のローカル線などでは、いまだに生き残っており、橋上駅舎化される前の昭和の香りを感じさせてくれます。

で、以下はネット内の「乗りものニュース」から引用させていただいた情報です。現在、都内を走る大手私鉄8社の駅で構内踏切が存在するのは、以下の6駅が挙げられます。

 

・西武多摩湖線▶ 一橋学園駅
・西武多摩川線 ▶新小金井駅、白糸台駅
・東武亀戸線 ▶亀戸水神駅、東あずま駅
・京成金町線▶柴又駅

 

東武亀戸線の電車はわずか2両編成、それ以外の路線も4両編成です。短い編成の電車が走る路線、すなわち乗客が少ない路線にだけ構内踏切が残されているわけです。西武多摩川線の新小金井駅も、大手私鉄の駅で年間の利用者が少ない順から5番目となっています。(「乗りものニュース」より)

というわけで、構内踏切のある駅の希少性をご理解いただけたでしょうか。で、記事に登場した「新小金井駅(写真上)」の場合、構内踏切と構外踏切が指呼の間で並行しており、内でも外でも踏切を渡れるという贅沢な体験ができちゃいます。乗る人と見送る人が線路上で向き合い、お別れやお迎えの言葉を交わす…新小金井駅には、かつて当たり前に見られた昭和の駅の日常があります。

現在も木造屋根が残る新小金井駅のホームです。閑散とした駅前広場は私のお気に入りの場所。商店街も期待を裏切らない寂れっぷりですが、それが味わい深い風景を描き出しています。

さて、ふた駅先の「白糸台駅」を目指しましょう。写真下は武蔵野公園と野川公園を結ぶ西武多摩川線の国分寺崖線ハケのトンネル。

新小金井駅を発車した電車は、国分寺崖線を削った緩やかな坂を下り、野川の流れる「野川公園」の森を抜けて「多磨駅」へ向かいます。実は多磨駅にも、つい最近まで構内踏切があったのですが橋上駅舎化で廃止されました。構内踏切があった頃、改札前には八百屋やたばこ屋が軒を並べ、昭和の雰囲気がそのまま残っていたのですが…その風景は高村薫の小説『我らが少女A』でリアル過ぎるほど追体験できます。ご興味のある方はぜひ。

で、やってきました白糸台駅。ここは府中市です。モダンなスロープが付けられていますが正真正銘の構内踏切がございます。

西武多摩川線は、周辺地域の開発に翻弄されてきた歴史があります。駅名の変更もそのひとつ。前述の「多磨駅」は東京外国語大学の誘致や警察学校・病院等の設置に伴い、2001年に「多磨墓地前駅」から「多磨駅」に、同じ年に「白糸台駅」も「北多磨駅」から改称されました。「北多磨駅」は「多磨駅」ができることで、事実上多磨駅の南に位置してしまうことから、新たに地名を冠することになったという、とばっちり改称みたいな目にあっているわけです。

この白糸台駅には、西武多摩川線の車両基地がありまして、ここで基本的な整備が行われていますが、本格的な整備の際には、なんと武蔵境駅からJR中央線の線路に乗り入れ、JR武蔵野線の線路を経由して西武線の所沢車両基地まで運ぶそうです。孤立路線ならではの壮大な移送といえるでしょう。また白糸台駅は600 – 700mほど離れた場所に京王線の「武蔵野台駅」があり、徒歩で乗り継ぐことが可能。田畑の残る路をぶらぶら歩いての乗り換えも長閑でいいものです。

最後に白糸台駅からほど近い場所にある、昭和の遺物を訪ねてみましょう。

これ「掩体壕(えんたいごう)」といいます。いうなれば”軍用飛行機や軍事物資の隠れ蓑”。日本軍が第二次世界大戦中に構築した掩体壕の一部は、いまでも全国に残されています。コンクリート製の大型構造物で、取り壊しが困難であったために残されたものだそうです。近年では戦争遺跡として保存措置が講じられており、この「旧陸軍調布飛行場 白糸台掩体壕」もそのひとつとか。この他にも中央高速道路を挟んだ武蔵野公園内にも2基の掩体壕があり、府中市の指定文化財(史跡)に指定されています。

西武多摩川線の路線距離はわずか8Kmに過ぎません。しかし、その線路は、武蔵野市、三鷹市、小金井市、調布市、府中市といった日本の昭和史を語る上で欠かせないエリアを貫いており、何度でも足を運びたくなる引力があります。悲惨な戦争の傷跡を残しながら、それを忘れたような静かな暮らしと豊かな自然が残る西武多摩川線沿線。梅雨明けの太陽を浴びながら、いまは遠い昭和の夏に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?さて、梅雨明けはいつのことやら、つぎはどんな昭和にいこうかな?